★本記事は、サイト引っ越しのためこちらに移動しました。
こんにちは、水曜日の青猫の映画とその原作の紹介です 🐾
今日ピックアップする作品は、瀬尾まいこさんの小説『そして、バトンは渡された』と、これを原作に2021年に映画化された同タイトルの作品です。
漫画や小説の映画化作品については、「映画は原作を超えられない」などとよく耳にしますが、果たして本当にそうでしょうか。例えば、今日扱う作品、小説には小説の良さが、そして、映画には映画の良さがあると思うのです。
この記事では、物理的な制約に起因する「違い」を含め、原作と映画の「7つの違い」をあげて、それぞれの良さなどを探っていきます。
なお、記事には多くのネタバレがあります。これから原作、あるいは映画を楽しもうという方は、その旨をご承知おきください。
原作小説と映画の基本情報
まずは原作と映画、それぞれの基本情報からスタート。
原作の基本情報
- 著 者:瀬尾まいこ(50歳)
- 単行本:2018年2月22日発刊
- 文庫本:2020年9月2日発刊
- 受 賞:2019年本屋大賞 他
- 部 数:累計発行部数 110万部以上
- その他:「Amazon Audible聴き放題」で取り扱い有り
原作となる小説は2018年に発表。2019年には本屋大賞を受賞しています。繊細な心理描写と日常の積み重ねの描写が、主人公・優子の成長と葛藤と共にとてもうまく描き出しています。そして、この小説は、「家族の絆、そして、親から子へと受け継がれる想いがテーマ」となっています。
さて、この小説を紹介する上で一番伝えなくてはならないこと。それは優子の苗字です。
彼女は生まれたときは水戸優子でした。その後に、小学生高学年で田中優子となり、中学のときには泉ヶ原優子となり、高校生のときには森宮優子に。この苗字の変遷のすべてに、義母・田中梨花が関わっています。つまり、優子は義母の再婚により、5〜6年の間に苗字がどんどん変わったという特異な経験の持ち主。その割には、思いの外、「素直な良い娘」として育っています。
一方、こんな短期間に再婚を繰り返した田中梨花は鬼女かというと…とても娘思いなのです。梨花のために主張しますが、梨花は優子のために再婚を繰り返したのです。
映画の基本情報
- 監督:前田哲
- 脚本:橋本浩志
- 原作:瀬尾まいこ著「そして、バトンは渡された」
- 主演:永野芽郁
- 共演:田中圭、石原さとみ、大森南朋、市村正親、岡田健史 他
- 公開:2021年10月29日
- 映画公式サイト:https://wwws.warnerbros.co.jp/soshitebaton-movie/
さて、次は映画です。
原作発表が2018年2月、映画公開が2021年10月ですから、その間、2年8ヶ月。映画企画から考えると、原作発表とほぼ同時くらいに映画化がスタートしたのではないかと推測。
原作では、優子の日常を丹念に描きながら彼女の成長を感じさせるプロセスなどがあるのですが、映画は「時間の縛り」があります。なので、視覚的な演出などを通じて、様々な伏線を配置し、ラストで一気に回収してという展開を使うことで「極めて泣かせる映画」のつくりになっています。
さて、キャストですが、永野芽郁、田中圭、石原さとみ、大森南朋、市原正親といった実力派を配しています。それぞれが個性を発揮した演技が秀逸で、展開がとてもスムーズに頭に入ってきます。筆者 水曜日の青猫は、映画を見てから原作を読むというプロセスを踏みましたが、これらの俳優陣の演技のおかげでしょうか、小説にはない彩りを映画に感じています。ビジュアルな映画だから彩りという意味ではありません。映画は小説にはない「色」があるのです。
ところでこの項目のはじめに掲げた映画番宣用の画像をご覧ください。向かって左から順に、キャラクター名と演者を書きますね。
森宮さんこと・森宮壮介(田中圭)。優子の3番目で、現在の父です。
その右隣が主人公で田中梨花の義理の娘・森宮優子(永野芽郁)。
さらにその右隣が結婚・離婚・再婚を繰り返す魔性の女・田中梨花(石原さとみ)。
ラスト、梨花の右側後方に後ろ姿で隠れているのが梨花が最初に結婚した男の娘・みぃたん(稲垣来泉)。
そして、このみぃたんが、物語の結構あとのほうまで謎の存在になっています…。
原作小説と映画の7つの違い
それではこの記事の本題、「原作と映画の主な違いを7つ」指摘して説明します。繰り返しますが、「ネタバレあり」ですから、その点はご了承ください。
1. みぃたんの存在(最大の違い!)
- 原作:「みぃたん」というキャラは存在せず、優子として一貫して描写。
- 映画:「みぃたん」という謎めいた少女が物語序盤から登場。
原作には、「みぃたん」というキャラクターは登場しません。
一方、映画では、物語の序盤から「みぃたん」という謎めいた少女が登場。正確に書くと「謎めいた形で登場」します。原作にはない、映画版ならではの独自の演出です。映画のなかにある数ある伏線のうち、「みぃたん」の存在が最重要な伏線となっています。そして、この伏線回収が感動的な展開へとつながります。事前に原作を読んでいない限り、この序盤の「みぃたん」を見て、それが将来の優子(永野芽郁)だろうと判るものはいません。わざとそういう創りをしているわけです。
この違いは、映画が視覚的な驚きを狙い、観客に新たな解釈を促す意図があるためです。「みぃたん」の存在によって映画版では物語がよりミステリアスで、観客が先を読めない展開になっていて、これが映画版独自の魅力となっています。
_/_/_/
この最初の「違い1」は重要なので、少し長く説明をさせてください。
小説が原作となる映画というのはたくさんあります。そして、一般的に良く言われることは「映画は原作を超えられない」ということ。『そして、バトンは渡された』の場合はどうかというと…
テイスト的には違う作品と考えてもいいとさえ考えています。それくらい、原作と映画の違いが大きい。
映画は、短時間(時間制限あり)で見る者に感動を与えるという使命があるので、「前半に様々な伏線を展開して、ラストで一気にそれを回収して感動に結びつける」という展開をやります。
伏線とは言葉を変えると、回収まで「謎を残す」ということ。そして、繰り返しますが、映画最大の伏線が「みぃたん」の存在です。映画冒頭のほうから出てくる「みぃたん」。田中梨花(演・石原さとみ)が水戸秀平(大森南朋)が前妻との間にもうけた娘が生まれたのが通称「みぃたん」。そして、田中梨花(演・石原さとみ)が水戸秀平と結婚し、水戸梨花となって義理の娘になったのが「みぃたん」です。こう書くと、「みぃたん」=梨花の義理の娘であきらかでしょ…となるのですが、映画のなかでは人間関係がぼんやりとしたまま過ぎていくので、謎として残ってしまうのです。
一方、原作には「みぃたん」の存在はありません。正確に書くと、梨花の義理の娘はいるのですが、それは梨花の義理の娘として認識して読者は読み進めます。ですから、原作をすでに読んだ方には、映画を見て謎を持つ余地がありません。梨花(石原さとみ)の義理の娘は、最初から「優子」として登場すると認識するからです。
2. 梨花の運命
- 原作:梨花は病を抱えながらも、優子の結婚式に参列。
- 映画:梨花は病を抱え、優子の結婚式前に死去。
原作と映画の「違い2」、それは「梨花の運命」、命のあり方です。それが大きく異なっています。
原作では、梨花は病を抱えながらも優子の結婚式に参列。優子と梨花はそこで久しぶりの再会を果たしました。原作では、最後の最後に「梨花が娘の幸せを見届けたこと」を私たちは知ることになります。それを通じて、「義理の娘を思い続けて、彼女なりに母としての役目を全うした」という梨花の気持ちが私たちにも伝わってきます。そうやって物語が希望に満ちた形で締めくくられているのです。この「希望に満ちた終わり方」が原作の魅力の一つでとなっています。
一方、映画では、梨花(石原さとみ)は優子(永野芽郁)の結婚式を目前にして、亡くなってしまいます。そのことは観客に強い驚きと喪失感を与えると同時に、後の感動につながっていきます。梨花の死は、原作のような「希望に満ちた終わり方」ではありませんが、「映画全体のドラマ性を高め、観客に対して強い印象と驚きを与える」ことで、結果的に観客に感動を与えています。
3. 優子のピアノ伴奏の時期
- 原作:優子は11月の合唱祭の舞台でピアノ伴奏をします。
- 映画:優子は卒業式でピアノ伴奏をします。
優子がピアノ伴奏をするシーンも、原作と映画で描かれ方が異なります。
原作では11月の合唱祭が舞台となり、優子の心の変化や成長が丁寧に描かれています。合唱祭の後、卒業までの時間を通じて、優子は様々な心の揺れ動きや葛藤を経験。その過程を丁寧に描くことで、彼女の成長がよりリアルに感じられるようになっており、読者は優子の内面の変化に寄り添うことができます。
一方、映画では、優子(永野芽郁)が卒業式でピアノ伴奏を担当することでプチ感動的な締めくくりを演出。卒業式という人生の一区切りとなる場面でのピアノ演奏は、優子の成長を象徴し、その瞬間に感じる小さな感動が観客の心に残ります。
4. 優子と実父と再会シーン
- 原作:優子は結婚式当日、ようやく実父・秀平と再会を果たします。
- 映画:優子は結婚前に東北まで出向き、実父・秀平と再会を果たします。
原作では、優子と実父・水戸秀平の再会は結婚式当日まで実現しません。秀平が結婚式に参列するのは、森宮さん(田中圭)の計らいによるものであり、そのことで森宮さんの優しさや配慮が強調されます。秀平との再会は、優子にとって大切な瞬間であり、そこで初めて彼女は自分の過去を受け入れることができます。
映画では、優子(永野芽郁)が自分の結婚を報告するために東北を訪れ、そこで秀平(大森南朋)と再会。この描写は、優子が自らの意思で実父に会いに行くという能動的な行動を強調しています。彼女が自らの過去に向き合い、それを受け入れるプロセスが描かれており、優子の強さや決断力が際立っています。
5. 隠された手紙の扱い
- 原作:優子は実父・秀平からの手紙を読まないことを選択。
- 映画:優子は実父・秀平からの手紙を読むことを選択。
梨花が隠していた「秀平からの手紙」の扱いも、映画と原作で異なります。
実父・秀平が優子のもとを去ったあと、優子は何通も秀平に手紙を書きました。しかし、返事は1通も届きません。それは義母・梨花が秀平からの返事をすべて隠していたからです。その手紙を束を優子は梨花から渡されます。しかし、原作では優子は手紙を読まないことを選び、そのことで優子が過去との決別をしたこと表現しています。手紙を読まないことで、優子は自分自身の強さを証明し、過去に縛られずに前に進むことを決意したのです。
一方、映画版では優子(永野芽郁)が手紙を読み、その内容に触れることで過去を受け入れます。この手紙を読むことで、優子は自分が愛されていたことを再確認し、梨花(石原さとみ)との関係に対する理解を深めます。そして、それが彼女にとって和解の一歩となります。
この違いにより、原作では強い決断、映画では和解のプロセスが描かれており、それぞれの形で優子の成長が表現されています。
6. 高校生時代の描写
- 原作:優子の高校時代、詳細な日常描写を展開します。
- 映画:優子の高校時代、合唱祭と恋愛に焦点を絞ります。
優子の高校生活の描写も原作と映画で異なります。
原作では優子の高校生活全般を丁寧に描写することで、彼女の成長や内面の複雑さがより深く伝わります。日常の些細な出来事や友人とのやり取り、学校生活の中での葛藤が細かく描かれ、優子がどのように成長していくのかがじっくりと描かれています。このような描写が、優子というキャラクターに深みを与え、読者が彼女の成長を実感できるポイントとなっています。
一方、映画では優子(永野芽郁)の卒業式でのピアノ演奏や、早瀬賢人(岡田健史)との恋愛に焦点を絞り、感情移入しやすい展開となっています。優子の高校生活での最大のイベントに焦点を当てることで、観客が優子に対して感じる感動が凝縮され、短い時間の中で強く印象付けられます。
7. 「バトン」の表現方法
- 原作:「バトン」はメタファーとして小説最後に登場します。
- 映画:「バトン」は森宮さんの具体的な経験として描写します。
作品タイトルにある「バトン」。これについて、原作と映画では表現方法が異なります。
原作では「バトン」はメタファーとして最後に登場し、読者に解釈を委ねる形となっています。このメタファーは、親から子へと受け継がれる思いや絆を象徴しており、最後の3行でようやくその意味が明らかになることで、読者に深い余韻を残します。バトンが何を意味するのかを考えることで、読者は物語に対する理解を深め、自分自身の人生における「バトン」についても考えるきっかけを与えられるのです。
一方、映画では、「バトン」という言葉が森宮さん(田中圭)の体験を通じて具体的に描かれています。かつて、運動会のリレーで森宮さんが転んでしまうシーンが、それを象徴する出来事として描かれています。このシーンは、視覚的にわかりやすく、観客にバトンというテーマの重要性を強く印象付けることに寄与しています。
両作品の魅力:原作と映画で楽しむポイント
原作小説は、優子や梨花の心情を丁寧に掘り下げることで、読者に深い感動を与えます。特に、複数の親との出会いと別れを経て成長していく優子の姿が、時間をかけて描かれています。読者は優子の心の揺れ動きに寄り添いながら、彼女の成長を共に感じることができます。また、親から子へと受け継がれる思いや愛情が「バトン」という形で象徴的に描かれており、読む者に温かさと希望を与えます。
一方で映画版は、視覚的な演出によって感動を生み出すことに長けています。みぃたんの存在や、梨花の運命といった劇的な要素が盛り込まれ、2時間という限られた時間で強いインパクトを残す作品に仕上がっています。キャストの演技も相まって、観客は感情を揺さぶられる体験ができます。特に永野芽郁の繊細な演技や、田中圭の父親としての優しさが際立っており、物語をさらに引き立てています。
映画は、物語を視覚的に体験することで感動をより直感的に伝える力があります。映像美やキャストの演技、音楽の効果によって、観客は物語の中に引き込まれ、登場人物たちの感情を共有することができます。そのため、映画版は一気に感動を味わいたい方にとって非常に魅力的な作品です。
まとめ:どちらを先に楽しむべき?
原作と映画のどちらから楽しむべきかは、個々の好みによります。
原作から読むことで、優子や梨花の心情にじっくりと寄り添うことができます。原作では物語の全体像をじっくりと把握することができ、優子の成長や家族の絆に対する理解が深まります。その後に映画を観ることで、原作との違いを楽しみながら、新たな感動を発見することができるはずです。映画の演出がどのように原作を再解釈しているのかを比較する楽しみもあります。
一方、映画から見ることで、視覚的な演出を通じて感動をダイレクトに体験できます。そして、映画の後に原作を読むことで、登場人物たちの心理描写や物語の深みをさらに楽しむことができるでしょう。映画で感じた感動を基に、原作の細かな描写を通して物語の背景やキャラクターの心情を深く理解することができます。
筆者個人のおすすめの楽しみ方としては、まず映画を鑑賞して感動を体験し、その後、原作小説で物語の細部に触れ、さらにAudible版で違った角度から作品を楽しむという流れです。これにより、『そして、バトンは渡された』の世界を余すことなく堪能できるでしょう。
映画での劇的な演出に感動し、原作での丁寧な心理描写に浸り、Audible版でまた別の感覚で物語に触れることで、作品の奥深さを最大限に感じることができます。
原作と映画、どちらも異なる魅力を持っており、それぞれが補完し合うことで、『そして、バトンは渡された』という作品が持つ本来の豊かさを味わうことができます。読むが先か、見るが先か、それによって得られる体験が異なることも作品『そして、バトンは渡された』の魅力の一つかもしれません。
ぜひ、両方、いえ、Audibleを含め、三度楽しみながら、自分なりの解釈で「バトン」を受け取ってみてください。
コメント